20安樂智大
安樂 由規と「甲子園最速男対決」実現も敗れる
安楽「あの一発で試合が決まった。」
右脚のけがから復帰した東北楽天の安楽が、今季初めて1軍のマウンドに上がった。由規との「甲子園を沸かせたスター投手」対決は打線の援護がなく、6回3失点で黒星。「チームの調子も良いので、その流れに乗っていきたかったが…」と話したが、復帰を待ちわびたファンに次回以降への期待を抱かせる投球だった。
「慎重に入りすぎた」と立ち上がりこそ先頭への四球から先制を許したものの、二回以降は落ち着いたマウンドさばきを見せた。悔やまれるのは、1-2の六回。2死までテンポ良く打ち取った直後、グリーンに内角高めに入った直球を完璧に捉えられて右越えソロを喫した。「あの一発で試合が決まった。もっと冷静に攻めていくべきだった」と反省する。
先発枠入りを手中に収めながら、開幕直前に故障離脱。好調なチームを複雑な思いで見つめながらリハビリに励んだという。「けがをした期間をプラスにしたい」と2軍では持ち味の直球の球威に磨きを掛け、この日も要所で打者を詰まらせた。女房役の足立は「直球は強さがあった。これからさらに良くなっていくと思う」と太鼓判を押した。
安楽自身も「スタミナは問題ないし、球も弱さは出ていなかった」と収穫を感じた様子。与田投手コーチは「いま100%を求めるのは酷な話。反省点を直していってほしい」と、シーズンを通した右腕の活躍に期待を寄せた。(浦響子)
安楽「慎重に入りすぎた」今季初登板は6回3失点黒星
楽天の安楽は6回5安打3失点。今季初登板で黒星を喫した。「慎重に入りすぎた」という初回は2死一塁で雄平に左翼線へ先制の適時二塁打。6回は2死からグリーンに右越えソロを浴び、「2アウトからもったいなかった」と反省した。
開幕2戦目の先発内定後に右大腿二頭筋を部分損傷。3年目の開幕を2軍で迎えた。「悔しい思いがあった」と必死でリハビリ。復帰戦は最速146キロ止まりだったが、甲子園で快速球で鳴らした目標の先輩でもある由規との投げ合いで、しっかりと腕を振った。
連勝は3で止まったが、梨田監督は「(安楽は)まずまず。久しぶりにしてはいいボールだった」と及第点。「ケガをしたから今があるという投球をしたい」。安楽のシーズンがようやく始まった。
▼楽天・茂木(5回守備から途中交代)疲労で体がちょっとだるい感じだった。
楽天はまだ安楽という秘密兵器を隠し持ってる現実
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安楽、5試合772球 球児の連投、止めるか認めるか
延長戦や連戦、酷暑の中の投球……。厳しい状況の下で勝利を目指す投手の未来を守るために、何が必要か。
「夏に向けて徐々に上げていこうと思っています」。福岡大大濠のエース三浦銀二の表情は明るかった。5月25日、捕手を立たせての投球練習。力強い直球がミットをたたいた。
引き分け再試合を含み、3試合で475球を投げた今春の選抜大会から2カ月。三浦は肩やひじを痛めることなく、日々の練習に取り組んでいる。
選抜では滋賀学園との2回戦で延長15回を完投。196球を投げた。「試合中は疲れも感じず、何回でもいける感じだった」
宿舎に帰って昼寝をして目が覚めると、「体がガチガチだった」。試合後はいつも感じる以上に肩、ひじ、背中、左の太もも裏が張っていた。近くの整骨院で電気治療を受け、風呂に1時間ほどつかり、夜は9時前に寝た。
元々、試合を重ねて調子を上げるタイプ。2日後の再試合は「投げているうちに張りが取れ、終盤の方が腕が振れた」と130球で完投勝ちした。連戦となった準々決勝の朝は体全体がだるかったが、八木啓伸監督に「投げられます」と申し出た。
が、先発メンバーにその名はなかった。昨秋以降、公式戦で三浦が先発しないのは初めてだった。状態を見た理学療法士は「投げられる」と助言したが、監督は「優勝するためにどうすべきか考えた。どこかで休ませる必要があった」。試合中、三浦がブルペンに向かおうとすると止めた。エースは出場せず、チームは敗れた。
大会後、三浦は監督の指示で約2週間ブルペンに入らず、軽いキャッチボールのみで過ごした。ひじや背中の張りが完全に取れたのは福岡に戻ってから約10日後だった。
■半年後激痛襲う
三浦より、300球近く多く投げた2年生投手が4年前にいた。2013年選抜で準優勝した済美(愛媛)の安楽智大(現楽天)。全5試合に先発し、9日間で772球を投げた。
準々決勝からは3連投。大会中はこまめにマッサージを受け、酸素カプセルにも入ったが、「張り詰めた中、短い間隔での投球。少なからず、肩やひじに炎症は起きていたと思う」。
決勝前夜、上甲正典監督(故人)から「投げない方がいいんじゃないか」と問われたが、志願した。6回9失点。この大会、初めてマウンドを譲った。
大会後の精密検査は「異常なし」。半年後、9月下旬にあった秋季県大会1回戦の一回、投球練習で右ひじにぴりっと電気が走るような感覚が襲った。三回には激痛に変わった。右ひじ側副靱帯(じんたい)の部分断裂。全力投球できるまでに回復したのは翌年の夏の大会が始まる直前だった。
選抜での連投との因果関係は分からない。安楽は「関係ない」と言うが、こうも考える。「そう言い聞かせたいのかもしれない。(疲労の)蓄積が出たという部分はあったかも」
今春の選抜は雨や再試合などで大会期間が2日延びることになった時点で、休養日が大会規定により消滅した。仮に三浦が投げ続け、大濠が勝ち進んでいたとしたら4連投となる可能性があった。
三浦は3連投以上した経験はない。「準々決勝も投げたかったという気持ちは今もあります」と言う一方で、「けがをしたら、という怖さはあったけど、考えないようにしていた。監督が防いでくれたのかな」。
八木監督は「目の前に試合があれば、選手は感情的になる。指導者としては我慢させることも必要だし、非科学的ではあるけれど、選手の気持ちに応えてやることも必要」。ベストの選択は何なのか。判断の難しさを今も感じる。(山口史朗)
「夏に向けて徐々に上げていこうと思っています」。福岡大大濠のエース三浦銀二の表情は明るかった。5月25日、捕手を立たせての投球練習。力強い直球がミットをたたいた。
引き分け再試合を含み、3試合で475球を投げた今春の選抜大会から2カ月。三浦は肩やひじを痛めることなく、日々の練習に取り組んでいる。
選抜では滋賀学園との2回戦で延長15回を完投。196球を投げた。「試合中は疲れも感じず、何回でもいける感じだった」
宿舎に帰って昼寝をして目が覚めると、「体がガチガチだった」。試合後はいつも感じる以上に肩、ひじ、背中、左の太もも裏が張っていた。近くの整骨院で電気治療を受け、風呂に1時間ほどつかり、夜は9時前に寝た。
元々、試合を重ねて調子を上げるタイプ。2日後の再試合は「投げているうちに張りが取れ、終盤の方が腕が振れた」と130球で完投勝ちした。連戦となった準々決勝の朝は体全体がだるかったが、八木啓伸監督に「投げられます」と申し出た。
が、先発メンバーにその名はなかった。昨秋以降、公式戦で三浦が先発しないのは初めてだった。状態を見た理学療法士は「投げられる」と助言したが、監督は「優勝するためにどうすべきか考えた。どこかで休ませる必要があった」。試合中、三浦がブルペンに向かおうとすると止めた。エースは出場せず、チームは敗れた。
大会後、三浦は監督の指示で約2週間ブルペンに入らず、軽いキャッチボールのみで過ごした。ひじや背中の張りが完全に取れたのは福岡に戻ってから約10日後だった。
■半年後激痛襲う
三浦より、300球近く多く投げた2年生投手が4年前にいた。2013年選抜で準優勝した済美(愛媛)の安楽智大(現楽天)。全5試合に先発し、9日間で772球を投げた。
準々決勝からは3連投。大会中はこまめにマッサージを受け、酸素カプセルにも入ったが、「張り詰めた中、短い間隔での投球。少なからず、肩やひじに炎症は起きていたと思う」。
決勝前夜、上甲正典監督(故人)から「投げない方がいいんじゃないか」と問われたが、志願した。6回9失点。この大会、初めてマウンドを譲った。
大会後の精密検査は「異常なし」。半年後、9月下旬にあった秋季県大会1回戦の一回、投球練習で右ひじにぴりっと電気が走るような感覚が襲った。三回には激痛に変わった。右ひじ側副靱帯(じんたい)の部分断裂。全力投球できるまでに回復したのは翌年の夏の大会が始まる直前だった。
選抜での連投との因果関係は分からない。安楽は「関係ない」と言うが、こうも考える。「そう言い聞かせたいのかもしれない。(疲労の)蓄積が出たという部分はあったかも」
今春の選抜は雨や再試合などで大会期間が2日延びることになった時点で、休養日が大会規定により消滅した。仮に三浦が投げ続け、大濠が勝ち進んでいたとしたら4連投となる可能性があった。
三浦は3連投以上した経験はない。「準々決勝も投げたかったという気持ちは今もあります」と言う一方で、「けがをしたら、という怖さはあったけど、考えないようにしていた。監督が防いでくれたのかな」。
八木監督は「目の前に試合があれば、選手は感情的になる。指導者としては我慢させることも必要だし、非科学的ではあるけれど、選手の気持ちに応えてやることも必要」。ベストの選択は何なのか。判断の難しさを今も感じる。(山口史朗)
楽天安楽、三軍で満塁ホームランをくらう
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